長い研究開発を経て、紙巻たばこの代替として加熱式たばこがなぜ開発されたのか、その背景にある「たばこハーム・リダクション」という考えをもとに「加熱式たばこ」開発と誕生の背景に迫ります。
ハーム・リダクションとは
ハーム・リダクションとは、害(harm)を及ぼす行為そのものを禁止または阻止するのではなく、そうした行為によって引き起こされる害の低減(reduction)を目的とした考え方です。1970年代に、薬物使用者がかかわる犯罪と薬物濫用による健康被害に対する現実的な対応策としてこの考えは創案され、注射器の共用によるHIV流行を抑えるために未使用の注射器を配布するという事例を経て、公衆衛生の政策として受け入れられはじめました。
薬物使用者に対するハーム・リダクション・アプローチとしては、オランダにおける医療用ヘロイン維持療法があります。純度のコントロールされた医療用ヘロインを医療管理下で使用することで、犯罪と濫用を抑制し、長期的には使用頻度の減少や断薬へつなげています1)。カナダのバンクーバーにおける、インサイトと呼ばれる医療監督下注射施設の設置もそのアプローチのひとつです。この施設は2003年に試験的に設置された後、数年間にわたって科学的精査が行われました。その結果、HIVリスク行動の減少、路上での注射および廃棄物の減少、依存症治療へのアクセスの増加、薬物過剰摂取リスクの減少、薬物使用や犯罪を助長しない効果などが明らかとなっています2)。
ハーム・リダクションの考え方は、臨床においても取り入れられています。そのひとつに、日本におけるアルコール依存症の治療があります。2018年に公開された新ガイドラインには「すぐに飲酒をやめることができない場合は飲酒量を減らすことから始め、飲酒による害をできるだけ減らす」というハーム・リダクションの考え方が取り入れられ3)、アルコール摂取量を効果的に減少させ、忍容性が良好であったナルメフェンが2019年に飲酒量低減薬として承認されています4)。
たばこハーム・リダクション-喫煙を続ける成人喫煙者への新たな選択肢
喫煙は多くの疾患の増悪・危険因子であることが指摘されています。心血管疾患、肺がんおよび慢性閉塞性肺疾患(COPD)など、多くの重篤な疾患を引き起こし、年間約600万人がたばこの煙が原因で死亡していることが、数十年にわたる疫学データによってわかっています5)。ニコチン自体は依存性があり、リスクがないわけではありませんが、喫煙関連疾患の主な原因はニコチンではなく、たばこが燃焼している時に生成される有害性成分によるものであることが広く知られています6)。 喫煙関連疾患と呼ばれるこれらの疾患を予防するためには、たばこ製品の使用を開始しないこと、既に使用しているのであればすべてのたばこ製品の使用を止めることが最善の方法です。
この周知の事実にもかかわらず、世界中の多くの喫煙者は喫煙を続けています。1980年代以降は喫煙率が減少してきているにもかかわらず、世界全体では依然として約10億人以上が喫煙を続けています5)。
そこで、喫煙開始の予防と禁煙推進に向けた政府の取り組みと同時並行的に、喫煙を続ける成人喫煙者に対し、よりリスクの少ない選択肢として紙巻たばこ以外によるニコチン摂取方法を提供することが、公衆衛生にとってプラスになるのではないかと考えられるようになります。これが「たばこハーム・リダクション」という考え方です。
たばこハーム・リダクションの考えは世界に受け入れられつつあります。アメリカの食品医薬品局(FDA)は、成人喫煙者にリスクの低い新しい代替品に切替えることを奨励する計画を2017年に発表しています7)。イギリスでも同年に発表したたばこ規制計画において、喫煙による害を低減するイノベーションとして代替品の開発を歓迎しています8)。
たばこハーム・リダクションの条件とは
たばこハーム・リダクションの条件1:リスク低減に向けた実証
加熱式たばこは、専用機器を用いてたばこ葉を「加熱」し、発生するニコチンを含む蒸気を摂取するたばこ製品です。従来の紙巻たばこでは、「燃焼」によって多くの有害性成分が生成されるのに対し、加熱式たばこは、「燃焼」を伴わないため、発生する有害性成分の量は紙巻たばこの煙と比べて大幅に低減されています。フィリップ モリス社の加熱式たばこTHS(Tobacco Heating System: 商標名IQOS)では、平均で90%以上低減されていることが実証されています(図2)。
加熱式たばこを使用した場合の有害性成分の曝露への低減や喫煙関連疾患リスクについても評価が行われています。
フィリップ モリス社の加熱式たばこ「THS」について行われた、日本およびアメリカの曝露低減試験では、15種類の有害性成分への曝露を示すバイオマーカーの変化を評価し、紙巻たばこからTHSに切替えることで、喫煙者の有害性成分の曝露が低減し、禁煙した喫煙者に近いレベルとなることが示されました9)。さらに、アメリカにおける6ヵ月の曝露反応試験では、喫煙関連疾患との関連があるとされる8つの臨床リスク・エンドポイントについて、THSに切替えた喫煙者群は、禁煙した喫煙者群と同じ傾向を示し、5項目において、紙巻たばこ喫煙継続群と比較して統計的に有意な差が示されました(表1)10)。
たばこハーム・リダクションの条件2:製品の受容と使用
実際、加熱式たばこは現在も喫煙を続ける成人喫煙者にどれくらい受け入れられ実際に使用されているでしょうか。
日本では、2014年に加熱式たばこであるIQOS(アイコス;フィリップ モリス)が名古屋で発売され、2016年に全国での発売が始まりました。それ以降、Ploom TECH(プルーム・テック;JT)、glo(グロー;ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)といった製品も発売されています。
厚生労働省の平成30年「国民健康・栄養調査」によれば、加熱式たばこの普及は、男性喫煙者の3~4人に1人、女性喫煙者の4~5人に1人に達していることがわかっています11)。
さらに、Stoklosa et alは、2014年~2018年までの日本のたばこ販売数量は、加熱式たばこを含めた全体では大きな変動はなかったものの、2016年以降、紙巻たばこの販売数量の低下が加速しており、IQOSの発売が日本の紙巻たばこ販売数量を低下させているのではないかと報告しています(図3)12, 13) 。このことから、市場において加熱式たばこが紙巻たばこの代替品として受け入れられつつあるといえるでしょう。
ここでは、たばこハーム・リダクションというアプローチと実現のための条件、そしてその遷移をみてきました。
現時点では、たばこハーム・リダクションの公衆衛生における長期的なインパクトについて、明確な結論を導くことはできません。紙巻たばことの比較における加熱式たばこのリスク低減についての科学的検証とともに、紙巻たばこからの切替えを含めた成人喫煙者の喫煙行動の変化についても、長期的な調査を進めていくことが必要不可欠です。
Column
2020年6月11~12日に世界ニコチンフォーラム(Global Forum of Nicotine, GFN)が開かれました。GFNは、紙巻たばこの代替となるニコチン製品の役割に焦点を当てた唯一の国際会議で、研究者だけでなく、消費者、政策アナリスト、公衆衛生の専門家、政治家、製品メーカー、メディアが参加し、2014年より毎年ワルシャワで開かれています。今年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響により、初のオンライン開催になりました。2日間にわたって世界中から2,000人近くの参加があり、ニコチン製品やたばこハーム・リダクション、COVID-19について議論がなされました。
- ハーム・リダクションの考えに、喫煙は含まれていなかった。しかしながら、たばこ代替品(加熱式たばこなど)によるたばこハーム・リダクションは、喫煙関連疾患のリスクを低減させる可能性があることは驚くべき事実である。
- たばこハーム・リダクションは、加熱式たばこなどのたばこ代替品が完全に無害であることを示唆しているのではない。害が低減され、紙巻たばこによる喫煙よりは安全であるということを示唆しているのである。
- 公衆衛生的な観点で、社会からの適切な規制の推奨やサポートが得られれば、今後10~15年で紙巻たばこの販売が多くの国で終了すると想定される。
- メタアナリシス解析によると、喫煙はCOVID-19のリスク因子であるエビデンスは少なくないが、少なくとも感受性を高めるリスク因子ではない。また、煙が出ない製品は紙巻たばこより毒性が低いことを考えると、これらの使用は、感染や病気のリスク因子となる可能性は低いことが示唆される。
- COVID-19と喫煙の関連については、喫煙と呼吸器感染に関する過去の知識に基づき議論されており、現時点では喫煙がCOVID-19の感受性および重症度のリスク因子であることを示す実際のデータはない。
喫煙を続ける成人喫煙者に対し、よりリスクの少ない選択肢を提供し、それらを選択する可能性を広げるためにも、信頼できる十分な科学的証拠の創出やそれらの正しい解釈が今後も求められます。
GFN2020の講演内容は全て無料で公開されています(https://gfn.events/previous-conferences)。
たばこハーム・リダクションの現状について興味のある方はチェックしてみてはいかがでしょうか。
- 参考文献
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- Blanken P, et al. Eur Neuropsychopharmacol. 2010; Suppl 2: S105-158.
- Wood E, et al. CMAJ. 2006; 175(11): 1399-1404.
- 新アルコール・薬物使用障害の診断治療ガイドライン, 2018.
- Miyata H, et al. Psychiatry Clin Neurosci. 2019; 73: 697-706.
-
World Health Organization. Report on the global tobacco
epidemic, 2015.
(https://apps.who.int/tobacco/global_report/2015/en/index.html) - Royal College of Physicians (2016) Nicotine without smoke: Tobacco harm reduction. London: RCP.
-
Scott Gottlieb, M.D. Commissioner of Food and Drug
Administration. 2017. Protecting American Families:
Comprehensive Approach to Nicotine and Tobacco.
(https://www.fda.gov/news-events/speeches-fda-officials/protecting-american-families-comprehensive-approach-nicotine-and-tobacco-06282017) -
Global and Public Health. 2017. Towards a Smokefree
Generation – A Tobacco control Plan for England.
(https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/630217/Towards_a_Smoke_free_Generation_-_A_Tobacco_Control_Plan_for_England_2017-2022__2_.pdf) - Frank Ludicke MD, et al. Nicotine & Tobacco Research. 2018, 161-172.
- Lüdicke F, et al. Cancer Epidemiol Biomarkers Prev. 2019; 28(11): 1934-1943.
-
平成30年「国民健康・栄養調査」(厚生労働省)
(https://www.mhlw.go.jp/content/000681200.pdf) - Stoklosa M, et al. Tob Control. 2020; 29: 381-387.
- Cummings KM, et al. Int. J. Environ. Res. Public Health. 2020; 17(10): 3570.